敗戦の日に思う…オリンピック②

「犠牲になってくれてありがとう」と言われたら、「ふざけるな!」と言わなければ

お昼に台所でピーマンを洗っていたら、外から「ピンポンパンポン~」と放送が聞こえた。びっくりしたが、すぐに、アレだ、とわかった。年に一度の恒例の、みんなで反省の時間。数秒間神妙な顔をしておけば、今年のお仕事は終わり。取り返しのつかない、今も終わっていない、東南アジア、中国大陸、朝鮮半島へ仕掛けた戦争と太平洋戦争に対して、「終戦の日」のこんな軽薄な「黙祷」が、なんになるのだろう。私たちのクニの政権は、これまでも今も、本当に謝罪し償うことからも、事実を直視することからさえも逃げ続けている。

放送の声は「今の平和は、亡くなった人たちのいしずえの上にある。」と言っていた。「亡くなった」のではない。数千万の人を殺したうえで、殺された。餓死させられた。病死させられた。殺された人は死によって、未来を作る作業を中断させられた。おそらく痛切な悔しさを、にぎりしめて。

生き残った者が作った、私も一員であるこの社会を、「平和」だと言えるのか。勝者だけ歓迎する敗者見殺し社会だということを、日々目のあたりにしながら。戦争の時、だれが先に死に追いやられていっただろう。おそらく、弱い立場にあった人、病弱な人、知的・精神・身体になんらかの違いがあるという理由で「役に立たない」とお荷物扱いされた人、そして戦争に反対した人。

オリンピックが終わった。コロナの感染者が爆発的に増え続けている。コロナで亡くなるのも、脆弱な基盤しか持たない、不安定な状況に置かれた人たちからだ。オリンピック選手たちは、ありったけの特権を思う存分享受して、さぞかし輝いたことだろう。この状況に至らしめた為政者たちは、事態を自然災害でも起こったかのようにあいかわらず他人事として語っている。嘘ばかり言っているし、情報をわざと捻じ曲げて伝えさせている。戦争の時のように、人を人とも思わず見殺しにして、生き残っている。敗戦、それ以降、私たちがこの無責任をきちんと問わずに来てしまったことがこの惨状へと導いてしまったかもしれない。

「犠牲になってくれてありがとう。」と言われたら、「ふざけるな!」と言わなければならない。しかし、死んでしまったら言えない。死者を美化するのは最大の侮辱だ。私たちは、まだ死んでいない。バッハに、「ありがとう。」と言われたら、「おぼえてろ!」と言わなくてはならない。そして、パラリンピックをやめさせなければ。