学童保育で…それぞれの2021年9月1日(その7)

11時ごろ起床。まだ眠い。朝食を食べてまた寝る。 午後、学童保育。着くなり、きのう帰りぎわにまた明日遊ぼうと約束した女の子が待ちかまえていて、きのうの遊びの続き。ぼくがリクエストした曲をピアノで弾いてくれる。2年生の子。七夕の曲をリクエストしたり。心霊写真の怖いはなしで盛り上がったり。 そのあとは、道路でバスケや缶けりをする子たちを見守る。ずーっと霧雨が降っていたけど子どもたちはTシャツ一枚でまるで気にしない。ぼくは雨合羽を着ていた。最後は1年生の女の子と二人っきりになった。雨もあがっていた。カミさんも一緒に走ろうよと誘われて一緒にかけっこした。走ると楽しい。子どもと一緒に走るのはなんとも楽しい。 夜、帰宅していかさんと夕食。眠くてたまらず2時間ほど寝る。 目がさめて夜食を食べてまた寝る。夜中に3回くらい目がさめる。(神長恒一)

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解雇撤回係争中…それぞれの2021年9月1日(その6)

2021年9月1日は、前日までの8月の陽気とは打って変わって寒かった。その日、僕が起床したのは、丁度正午位だったろうか? その前日は文字どおり一日寝て過ごした。 前提として、僕のアパートにTVはない。純粋に不必要なのだ。オリパラ開催期間中も、一切の関心を寄せずに日常を送ることができた。これは我ながらまあまあかなと感じる。 正午に起床した僕は14時過ぎに外出する。秘密会議出席のためである。18時都内某所。しかし幾分の時間の猶予がある。僕は八王子駅前の某拠点にてPCを立ち上げる。僕らの解雇案件における弁護士の書面をチェックせねばならないからだ。 そうそう、僕と相方のS氏は2020年中に解雇され、労働組合員計2名は職場から駆逐されてしまったのだ。五輪期間中もお構いなしに僕ら労組は解雇撤回係争中である。去年今年と僕らはずっと解雇の対応、特に裁判の準備に明け暮れていた。何がTOKYO2020だ。こちとらFIRE2020だよ!余談だけれどもこれは日本語でいうところの、東京2020に対する解雇2020である。・・・お寒いのが共通点のようで。 2時間弱ほど裁判ないし労組の仕事に取りかかる。オリンピックもパラリンピックもない。ひたすら、これが僕らの日常だ。 17時前。僕は駅へと向かう。電車を乗り継ぎ、革命的秘密会議が行われる某所へ。社内では別件の研究会のテキストである『労働労組とはなにか?』にメモを入れつつ読書する。筆者の持論に首を捻りつつ電車に揺られる。 18時丁度に秘密会議が開始される。来るべき世界…

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母の記憶を大切に記したい…それぞれの2021年9月1日(その5)

 深夜2時過ぎ、悲鳴と大きな物音が母の部屋から聞こえた。駆けつけると母は仰向けに倒れていた。危険な状況だと感じたので救急車を呼んだ。結局、病院での検査の結果、脳内に異常はなく意識も戻ったので一緒にタクシーで家に戻った。  私は母とは別に暮しているが、この日は前日にショートステイ先から家に送り届けた際、いつもと様子が違ったので泊まっていたのだった。  母には聴覚障害がある。40代から難聴となり今では補聴器をつけなければほぼ聞こえない。また難病の進行で筋力が落ちつつあり日常生活を一人で行うのが難しくなっている。なのでヘルパー、看護師、OT(リハビリ)など何人もの方とともに彼女の生活は成り立っている。そこには私もいて、父が5年前に亡くなって以降は週に2〜3回、母の家に通うのが日常となった。  上記の「障害」とは別に、母は心が疲弊しやすく何十年も精神科に通っている。その症状の背景には彼女の幼少期の記憶が関係する。この記憶については、彼女が亡くなった後にきちんと調査も踏まえて記したいと考えていて、なので今は詳しく書くことができない。書けないのは、母自身がこの記憶によって生かされ、また脅かされてもいるからだ。また、私自身も彼女の記憶を内面化しているところがあるので、このことは、ある程度時間をかけないと書くことができないし、時間をかけて大切に記したくもある。  それでも母とのことを書くにはこの記憶のことはどうしても外せない。キーワードだけで許してもらえるなら、それは「戦争と喪失」になる。母は、私が幼少の…

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